第9章 新石器時代以降――私たちが「人間」になった理由
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約1万2000年前、最終氷期が終わりに近づくにしたがって、レヴァント地方の人々が村に定着し始め、泥でできたレンガなどの材料でより永久的な住居を作った だが、新石器革命として知られる農耕が「発明される」のは数千年後のことだった 植物を育て始めるきっかけとなったのは、定住地で暮らす人数が増えるにつれて、より多くの食料が必要となったことだろう
なぜ定住するようになったのかはわかっていない
ある明白な可能性は、近隣の人々の襲撃に対する備えと思われる
そうでなくとも、襲撃がすぐに大きな問題となったのは確かだ
というのも、その後の5000年にわたって定住地の規模がにわかに増え、やがて都市国家や小王国の基盤となったのはそのためと考えられるからである 紀元前8000年前までには、トルコのチャタル・ヒュユクやギョベクリ・テペ、その後レヴァント地方にできたジェリコなどの定住地は、壁を張り巡らされた15ヘクタールにもおよぶ広さになり、1000戸ほどの住居に約5000人の住人がいたらしい 数千年のうちに、こうした定住地はユーラシア南部全域に広く分布するようになった
これらの居住地構造は、のちの鉄器時代に北ヨーロッパで建設される砦の先駆けだった これらの都市を巡る壁が防衛のためだという考えは普通否定される
これらの壁がかならずしも強靭ではなかったからだ
しかし、何も目的のない壁にそれほどの時間と労力をつぎ込むのは理解しづらいし、弱い壁でもないよりましだ
これらの村にある住居の構造も防衛を視野に入れていると思われる
ほとんどすべての家では一階部分に扉や窓がなく、外側への出口が少なくなるようにまとまって建てられていた
これはずさんな都市計画なのだろうか?あるいは襲撃者に対する防御なのだろうか?
いずれにしても、壁より屋根に扉を作るほうが技術的にはるかに難しい
事実、民族誌的な狩猟採集社会と考古学的データを多数調べて得た最近の推定によれば、人の死因全体の平均15%が戦争(または何らかの暴力沙汰)のせいであって、この割合は新石器時代から民族誌上の現在に至るまでほぼ変わらない https://gyazo.com/e69c95132164e63a1d43bb134d98b4a1
図9-2 いくつかの民族社会または先史社会における戦争による成人の死亡率を、年代に対応させて示した。データは埋葬地の骨格標本にもとづく(Bowles, 2009) 紀元前3900~1700年におけるデンマークとスウェーデン南部83箇所のスカンディナヴィア遺跡の387の埋葬地に関する詳細な研究によれば、スウェーデンでは9%、デンマークでは17%の頭蓋骨に外傷の痕跡があり、そのうちの大半が頭蓋骨前部への武器による傷だった 男性の頭蓋骨は外傷が癒えた物が多く、死に至った外傷については男女間で差がなかった
このことは男性が習慣的に致命的な暴力を受ける一方で(外傷が癒えて骨が再生した)、男女間で暴力によって死ぬ割合は同じだったことを示唆している
こうした定住地に人々が決して進んで集まってきたわけではないという強力な証拠がある
新石器時代の定住地に住む人々は同時代の狩猟採集者より小柄で、骨格に食物ストレスの痕跡が多々見られる
過去と現在の農耕具を用いた農業による栄養の推定回収率を見ると、農業によるエネルギー回収率は食物探しよりかなり低い
最終末旧石器時代の狩猟採集者が食物探しから定住に転換するにはきわめて深刻な理由があったのは確か これほどの高密度で暮らすのは相当に心理的ストレスが高かっただろう
このコストを分散しなければ、共同体はあっという間に崩壊する
しかし、離合集散はこの問題を完全には解決しない
狩猟採集者に見られる社会性は、集団で暮らそうという圧力(捕食、襲撃)と分散しようという圧力の間の妥協の産物
音楽(歌と踊り)、言語を用いた物語、そして宗教が、これらのストレスを解消し、適切な規模を持つ共同体の社会的つながりを促進するメカニズムとして進化してきたと述べてきた 私達にとって新石器時代の問題は、大規模で混み合った定住空間に暮らす場合に起きる真に破壊的な問題をどう解決したかにある
人類が農耕を発明し、食料を保存したり住居を建てたりする技術を学んだことは比較的小さな問題だった
この問題の解決はその後の都市化と都市国家の形成に不可欠だった
酒と祝祭
第2章で説明したように、霊長類の社会はコストを共有することによって、生存と繁殖の成功にかかわる問題を集団レベルで解決するための暗黙の社会契約 サルは安定した集団を形成することによって、より捕獲されやすい仲間がいる際も、捕食者の目を自分たちから逸らすことができる こうした社会契約全般の難しさはただ乗りする者(フリーライダー)が出てくること こうしたただ乗りを減らすためのメカニズムとして社会的な罰が考えられてきた この意味における罰は二次的利他性としても知られる。ただ乗りする者に罰を与えるのは、社会がより良くなるためのコストを払うことを厭わない利他的な人である しかし罰は進化の観点からは問題になる
後ろに隠れて他の人が罰を与えるのをただ傍観するだけの人と比べると、実際に罰を与える人は利他的に振る舞っているので、ダーウィンが言うところの個体レベルの淘汰において進化上不利な立場に置かれる
罰を与える立場にいない人は、罰を与える人の利他主義を利用してただ乗りする者であって、このことがこの問題をさらに難しくする
群淘汰が答えにならないのは、あらゆる通常の淘汰環境では、利他的に振る舞う人は必ず競争に敗れて淘汰されてしまうからだ 集団全体が血縁である場合には血縁淘汰がうまくいくかもしれない しかし現実的には、血縁淘汰がうまくいくのは利益を得る人が近い血縁である場合に限られるだろう
罰にはもちろん効果があるが、これがいちばんふさわしい問題解決法ではない
ただ乗りが見つからない可能性が高く、共同体が大きい場合、どれほど厳しい罰でも効果が得られないことがある
発見された場合の罰は非常に重いが、発見の可能性が低い場合、社会契約を守ったほうが長期的にはいい結果になると知っていても、侵入は試す価値がある
あいにく人間には経済学者が言うところの「将来の価値の割引志向」がある(時間割引) 他人を共同体の規則に従わせる心理的に一層効果的な方法は、自分が共同体に誠実で、その構成員に対して義務感を持っていること
血縁関係がこの誠実さを作り上げるメカニズムであるのは明らかだ
別の方法は、共同体に属するためにコストを払わせることだ
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コミューンの存続期間は、入会にあたってどれほどの犠牲を要求したかに依存していた 諦めるものが多ければ多いほど、他人の些細な口争いや癇癪に我慢しがちで、コミューンはより長く続いた
ただしこれは宗教的なコミューンに限られた話
世俗的なコミューンは宗教的なものほど長続きしないし、誠意が生まれるという効果はなかった
共同体にスピリチュアルな側面があると、破壊的で利己的な行動が抑制され、共同体の規則に従おうという機運が醸成されるようだ
私達は共同体意識を高めるメカニズムをたくさん用いる
一番大切なのは共有された世界観だ
世界観も、話す言葉も、道徳観念も、世界の成り立ちに関する理解も同じ人同士なら、それはおそらく同一の小規模共同体で育ったことを意味する
そして、互いに信頼できることも意味する
小規模共同体で相手を信頼できる一つの理由は、どちらも血縁関係にある可能性がいたって高いからだ
同一の服装規定、髪型、土器の様式、方言のような他の文化マーカーも、共同体への帰属意識を教えてくれる
しかし、人間の行動でこの点で重要なある側面はほぼ完璧に見逃されている
醸造用であったとしか思えない巨大であまりに重い石の大桶 なかには160リットル入るものもあり、動かすには重すぎる
これらの大桶には実際に醸造が行われたことを示す直接的な証拠が残されたものもあった
つまり、酒は人間とはいたって古くからの付き合いなのだ 実際、最初に栽培された原始的なオオムギは、とくにパン作りに適したものではなく、粥状にするととても栄養に富み、食べてうまいものではないがビールづくりにはぴったりだ ナルトレキソンの効果は完全に中性なので、通常エンドルフィンが作り出す高度または程度の痛覚脱失を阻害し、アルコールのネガティブな面のみを残す 第6章 旧人――料理と音楽、眼と脳で食べる行為も強力なエンドルフィン効果を生じさせると指摘したが、食事をともにしたり祝宴を開いたりするのが社会生活で重要なのもこれが理由だろう この活動は共同体の絆を高め、訪問者を歓迎するための方法として新石器時代に登場したのかもしれない 夕食に誰かを招くことは現代の社会生活でも重要な一面として残っているが、これがどれほど奇妙なことか、なぜそんな習慣が進化したかについて意見を述べた人はだれもいない
答えは、宴によってエンドルフィンが分泌し、社会的つながりが出来上がるからに違いない
男の友情、女の友情
血縁関係はまちがいなく社会的絆を促進するが、それは家族同士が互いに寛容で、いざとなれば手を貸すことを厭わないからだ
しかし、共同体の規模が150人を超えると、日常的に顔を合わせるけれども血縁関係のない人の数が増える
前章で述べたように、事実上、150人の層が血縁関係の有意な限界を示している
定住地がこの限界を超えて大きくなり、まったく見知らぬ人同士が含まれるようになると、共同体全体の十分な結束を得るためには何か別のものが必要になる
新石器時代に大きな共同体をどのようにして作り上げたかを知るには、現代人がまったく見知らぬ人とどう友情を結ぶかをみれば何らかの洞察が得られるかもしれない 私達は互いに社会的に振る舞うことで友情を育てる
伝統的にはこれは直接会うことを意味する
互いに会う機会が物理的な距離によって減った場合、時間が経つにつれて人間関係がどう変わるかを調べる調査で、サム・ロバーツと私は被験者が実家を離れてからの18ヶ月間で家族と友人に対する親近感がどう変わるかを尋ねた https://gyazo.com/cb0ead70db4de6981774f0a7b6af7077
家族に対する親近感は時を経ても驚くほど安定していた
かえっていくらか増えたようでもあった
ところが、元の場所にいる友人に対する親近感は、あえなくなって調査が始まるとすぐに大きく減った
つまり、血縁関係にない人との友情は努力しない限り高い維持コストがかかるし、その質が急激に落ちることになる
150人を超える大きな共同体の絆を維持しようとすると、維持コストの高い関係の人をたくさん必要とするようになり、どうしても時間収支を圧迫するようになる 現代人が形成する個人的な社会ネットワークでは、50人の層で友人の割合がかなり高く、一番外側の150人の層で拡大家族の割合がかなり高い
外層の家族と同じくらいの時間しか友人に割かないと、友人はただの知り合い、出逢えばうなずきあう程度の人間になり、まさかのときの頼りにはならない
これらの外層間で家族と友人の数を入れ替えると維持コストが相当あがり、ネットワークの結束と絆にひびが入る
実際、友人が50人の層にいるのはこのためかもしれない
外層にいる人々との交流頻度は友情といえるほどの関係を保つには低すぎ、この層にいる友人はその外側にある知り合い(500人)の層にただちに滑り落ちてしまう
愛称が良かろうが悪かろうが、親族は選べないが、友人は選ぶことはできる
私達は、個人的な社会ネットワークの外側の三層(15人、50人、150人の層)内の特定の友人をなぜ友人とみなすかについて多数の人に尋ね、それぞれの友人についてたくさんの形質のうち自分と共有するものがあるか否かについても尋ねた 得られた結果は、友情におもに6つの側面があることを示していた
共通の言語
共通の出身地
似通った学歴
共通の興味や趣味
共通の世界観(似通った政治観、宗教/道徳観)
共通のユーモア感覚
これらのうちどれか2つ以上共有していればことに強い友情が生まれる
これら6つの側面はかなり入れ替えが可能なようだった
どの3つでも強い友情が生まれ、それがどの3つであるかはあまり関係がなかった
より注目すべきは、友人に対してより利他的に行動できるか、いざというときに助けるかは、共有する形質の数にも依存するということ
つまり、一般的に考えられていることとは逆に、友情とは生まれるものであって、作るものではない
手に入った友情で済まさなければならないかもしれないが、友情の質とそれが続く期間は共有する形質が少なければ少ないほど貧弱になる
友情を支える形質のすべてが文化的なもので、どれも生物学的でも永続的でもないことに注意
この事が重要なのは、文化的形質によって私達がどの共同体に属するかが特定されるからだ
つまり、この種の文化的形質を共有するということは、私達がどの共同体に生まれたかにかかわる手がかりになる
さらに、このことによってこれらの共同体への帰属を示す象徴が時とともに変わることが可能になり、ある個人のその共同体への帰属が最新のものであることが明確になる
またダニエル・ネトルと私がコンピュータモデルによって実証したように、ただ乗りする者を防ぐことも可能になる その共同体に特有の物事の進め方を知っていて、それを行動で示すことができるなら、それはその共同体で生まれたことを意味する
このために、よそ者が共同体に入ってきて、その共同体に特有の「物事の進め方」を知ることが難しくなる
ある人が共同体への帰属を明確にすればその人の誠意は保証されるが、それは共同体がその人の行動の誠実さを請け合うからだ
このことを簡単に実験するため、オリヴァー・カリーと私は、8人の親友(15人の層内の友人)との親密度を判断し、その相手に対してどれほど利他的な行動をとるかについて被験者に訊いた 友人のネットワークの親密度が高い(互いに会う頻度が高く、連れ立って外出することが多い)人は、そうでない人に比べて友人に対して利他的に振る舞う率が高かった
一つの見方をすれば、これはただその人の評判の問題ということになる
ネットワークは目を光らせていて各自の行動を監視している
他人を助けようとしなかったり、過去に他人の恩に報いなかったりした人は、きちんと見極められて噂になる
私達が友人に利他的になるのは悪い評判が立つのが怖いのと、信望を失った人は相手にしてもらえなくなるからだ
だが、このことにはポジティブな面もあるかもしれない
互いに頻繁にあって一緒に絆を深めると、関係が強まり、そのために生まれるポジティブな感情によってさらに互いを思いやりをもって行動することができる
罰をちらつかせるまでもない
友情に関する実験で私達は、社会ネットワークのはたらきに男女間で重要な違いがあることに気づいた
女性は特別に親密な友人(かならずではないが、たいてい女性で、現在ではBFF(生涯の親友)と呼ばれることもある)と、恋愛関係にある人(たいてい男性)がいるが、男性にはそういう人はいない 男性の友情関係はもっと気楽で、同程度に親しい気軽な関係の友人がたくさんいる
このことは、人間関係の安定性において重大な結果をたくさん生み出す
親密な友情は女性にとって情緒的に重要な支えになってくれるが、友情が壊れるときには修復不可能なほど完璧に壊れることが多い
一方で男性のより気軽な友情はたいてい簡単に修復できる
女性は親密な関係を保とうと涙ぐましい努力をするが、男性はただ離れていくだけのことが多い
離れたあとは新たな場所で新たな友人を得る
女性にはたいていごく親しい友人が数人いる一方で、男性にはたくさんの気軽な友人がいる
言い換えれば、男性はクラブを好む
特別な手続きや入会儀式をともなうクラブを好むという男性の性向は、彼らがやや気軽につるんだり徒党を組んだりすることと関わりがありそうだ
これは小規模な狩猟集団に起源を発するのかもしないが、その心理的なメカニズムはより多人数に一般化できそうであり、教会や軍隊などの大規模な階層社会につながるように思われる
二番目の違いは、友情関係を維持するやり方にある
私達の実験では時とともに友情が冷めていくメカニズムについても探った
それぞれの友人にどれほど頻繁に接触したか、どれほど頻繁にその友人と何かを一緒にしたかを被験者に訪ねた
友情が壊れるのを防ぐのは、女性の場合は会話を交わすことで、男性の場合は何かを一緒にすることだった
男性の場合には、友情が壊れるのを防ぐのに会話はまったく役に立たなかった
友情の持つ性質にかかわるこの簡単な探求から、次のような結論を導くことができる
150人規模の昔の狩猟採集社会を超える巨大な共同体において、社会的な絆を維持するのは並大抵のことではないということだ
なにか別のものが必要とされていて、その種子は、人間の友情関係が自然に形成される過程(クラブ、特に男性のクラブの形成)にすでに播かれているようなのだ
一つのテーマに沿ったクラブを作ればそれで足りる
こうした特定の関心に的を絞ったクラブはおそらく血縁関係に起源をもつようだ
血縁ネットワークの外層は純粋に言語にもとづいて、一つの次元しかもったないからだ
この基盤の上に積み上げられる二番目の初期の例が宗教だろう シャーマニズムから教理宗教へ
その結果、共同体の規模が増えるにつれて、相互のつながりが希薄になるということがわかった
人工遺物の類似性が次第に失われていったのだ
それでも、共同体内で分裂が起きたという証拠はなかった
分裂が起きなかったのは、物質的文化(新しい芸術的表現法や個人的装飾)がしだいにその複雑さを増し、それが共同体に文化的な複雑さを与えたために、分裂が自然に避けられたからのようだった
つまり、物質的文化の複雑さがまして言ったのは、共同体規模の増加による偶然の副産物というより、分裂危機に対する意図的な反応だったらしい
この意味において、それは2万年ほど前にヨーロッパで起きた後期旧石器革命における文化活動の爆発に匹敵しそうだ 実際、レヴァント地方では、これらの変化の多くは、先土器石器時代B期(約8000~6000年前)の中期および後期に、新石器時代が円熟するにしたがって起きた 新石器時代に宗教に関するある重要な変化が起きていて、そのことがこの最終的な移行の鍵を握るのかもしれない
宗教史家は、現在世界中にある何万という宗教を大きく二種に分けてきた
シャーマニズムは経験に基づく宗教
教理宗教は聖所(寺院や教会)、祭司の階位性、神学、神(かならずではないが、人生を支配する「高神」がいる場合がある)、幸運を呼び込むために神々をなだめる形式的な儀式と関連する宗教
後者は様式あるいは実践においてシャーマニズムと大きく異る
永続的な定住地の形成はこの二種の宗教間の移行期だったようだ
現在でも、遊動生活または半遊動生活を営む狩猟採集民や遊牧民はシャーマに図m樹に、永続的な定住地で暮らす社会は教理宗教に特徴づけられる
これら二種の宗教間の移行は、村への定住と儀式用の建築物をもつのがたやすくなったためと解釈できるだろう
しかし村に住むからといって寺院が必要になるという明確な理由はない
村に住むことはシャーマニズムの障害にはならない
アメリカ南西部のホピなど定住する農耕民には、いまだにシャーマニズム的な宗教を持つ人々がいる シャーマニズムは典型的に踊りと歌をともなうため、必要なのは踊ることのできる空間のみ
反対に、遊動する狩猟採集民が中心となる神聖な場所を決められない理由もまたない
ギョベクリ・テペのような新石器時代遺跡にある寺院らしき構造物は、その地の人々が定住するための住居を建てる前に建設された 人々はこれらの儀式用の建造物の周りに仮住まいしていたのかもしれないが、その痕跡は残っていない
こうした時期がどれほど長く続いたかは、共同体がどれほど襲撃の脅威にさらされたかによる
問題は、一箇所に集まれば人々の所在がすぐにわかるので、襲撃の危険性が高まることにある
このことから考えると、この期間はさほど長く続かなかったと思われる
儀式用に限られた特別な建造物を立てるという行為は、シャーマニズムの形式に拘らない宗教実践とはきわめて異なる、一種の集団的儀式への意図的な移行を意味する
形式的な儀式用の建物があるということは、共同体の人々になり代わって神に仕え、普通の人はただ傍観することしか許されない特殊な儀式を執り行う祭司のような特別な身分の存在を暗示する
半世紀ほど前にラオル・ナロルは、共同体規模が500人を超えると、専門職(陶芸家、工芸家、飲食店主、傭兵、僧侶、行政官)が出現し始めることを、小規模社会に関するデータ解析結果によって実証した これは共同体の結束を維持するには、組織変更が必要となる自然な危機的時期なのかもしれない
少なくとも現代の宗教では、シャーマニズムから教理宗教への移行にはもう一つ重要な変化が伴う
それは、宗教行事の強烈さと頻度双方の変化
シャーマニズムでは、トランス状態での踊りやそれに類することが不規則に誰がその必要を認めたときに起き、その間隔はたいてい一ヶ月ほど
教理宗教では、宗教行事は情動的にはさほど激しくないが、より頻繁に行われる(たいてい週単位)
このことが意味するのは、トランス状態での踊りは緊張をほぐすのにきわめて効果的だが、その体験が強烈で、あまり頻繁に行うとストレスになるということ
しかし大きな共同体で暮らすことでストレスがかなり増大するのであれば、宗教行事を短い間隔で行わなければいけないかもしれない
短い間隔が可能となるのは、宗教行事がより穏やかである場合のみ
宗教行事をより穏やかにする自明の方法は、儀式を行う専門職(いわばプレッシャーに耐える訓練を受けた人々)とただそれを傍観するだけの会衆を切り離すこと
儀式に参加する人の大半がトランス状態における大きな高揚感を経験しないなら、宗教による共同体の結束効果を強化するために、なにか別の物が必要になるかもしれない
「高神」が教理宗教で重要な役割を果たすようになったのは偶然とは思えない
事実、現代の部族社会では、高神の存在は共同体の規模と相関がある
形式的な神を持たない仏教などの宗教を反証として挙げる人もいるかもしれない しかし、仏教は他の宗教とさして違わない
行動規範が存在し、個々の人はこの規範に自分がしたがっているか否かを確かめるように求められる
多数の研究が示す結果によれば、こうした種類の社会では、神をさほど熱心に信じない人と比べると、熱心に信じる人は他人に対して親切に振舞い、集団の規則を守る傾向が強い
現代のアメリカ社会でも、教会の礼拝に行く人の割合が高い州ではそうでない州より、人々の社会参加率が高く、犯罪率が低い
同時に、信仰心(世界観、起源に関わる物語、道徳観がかかわることが多い)が共同体への帰属意識に与える影響を見くびってはいけない
この点において、これは友情を特徴づける基本的な次元に直接関わるようだ
それはまるで、教理宗教が生まれるときに、きわめて大勢のまったく見知らぬ人から成る架空の共同体への帰属意識を作るための基盤として、友情を補強する基本的な心的過程が利用されたかのようなのだ
血縁関係の重要性がここでも尊重される
ほとんどすべての教義を重んずる宗教は、近い血縁関係を意味する言葉を用いて、家族的な親密性の錯覚を作り上げようとしているかに見える
そいれはシャーマニズムのくだけた形式から、教理宗教の組織化された形態への転換によって示される
教理宗教では、精霊の世界に仕え階層構造を持つ司祭が信徒に教理を授ける
精霊の世界は、細かく定義された形態を持ち、特定の個人(神や聖人)の存在があり、、すべての信者に受け入れられている
しかし、教理宗教への転換は完全ではなかった
あらゆる教理宗教は絆の維持という点において問題があり、それはおそらくその起源に関わるようだ
階層的な構造を持ち、現世や来世で罰が下るという恐れがあったにもかかわらず、すべての教理宗教では離脱するカルトや分派が後を絶たなかった
言語も個々の共同体を明確に区別するこtによって、小規模の共同体に対する忠誠を強要するようにデザインされている
教理宗教はシャーマニズムという出自からきっぱりと縁を断ててなかったようだ
いずれも神秘的で忘我的であったため、カルトは祭司が持つ神学的、政治的支配力を損ないかねなかった
したがって、教理宗教の大半は歴史を通して盛んに異端者を迫害した
これらの離脱カルトはやがて世界的宗教となった
仏教から諸々の宗派や分派
教理宗教はこれらの古代の影響を振り切ることはできないように思える
小規模で、私的で、経験主義で、シャーマニズムの様式の整った宗教団体は、あたかも地の底から湧き出てくるようなのだ
カルト誕生に欠かせないのはカリスマ性のある指導者(たいてい男性だが、そうとも限らない)で、信者(たいてい女性だが、そうとも限らない)の小さな共同体の象徴であり機能上の指導者となる
つまり、特定の神学より、個々の指導者の人格と流儀がカルトの初期の成功にとって大きな役割を果たす
ヒトは本来、単婚なのか、多婚なのか
新石器時代を通して定住地の規模が増大すると、社会的繋がりに大きく関わる、人間の社会行動のある側面に歪みが生じた
進化のある時点で、ヒトは愛情を伴うペアボンディング(一夫一妻制)を生み出し、この習慣が繁殖と社会体制において現在まで重要な役割を果たしている この契約によってどの人が「すでに契約を交わしている」ので手出ししてはならないかがわかる
婚姻契約と結婚指輪のような印が浮気を防げるか否かについては議論の余地があるが(おそらくノー)、ヒトは多くの場合に婚姻についてこのような手段で告知するので、不完全とはいえ一定の予防効果はあるのかもしれない
しかし、ここでより重要なのはディーコンの次のような主張だ
特に小規模の共同体では、ある一組の男女が不和になったり、第三者の姿見え隠れしたりすると、恋愛関係から生じる競争と嫉妬は当の男女のみならず、一般には共同体全体にとっていたって破壊的な力をもつというのである 文化的な手段によって嫉妬はある程度抑えられるかもしれないが、そうした手段が完全に効果的であることはない
嫉妬という感情は文化の奥深く染み込んでいき、すみやかに怒りに姿を変える
19世紀のアメリカのユートピア・カルトの多く(シェーカー教が有名)が信者間のセックスを禁じたのは、それが破壊的な効果をもつことを直感的に理解したからだろう このことはヒトがほんとうは単婚か多婚(複婚)かといういかにも古めかしい問いを投げかける 古い議論の大半は完璧に見当違い
言い換えれば、恋愛関係は必ずしも婚姻制度に依存するわけではない
このことはある人が数人を同程度愛していることを必ずしも意味しない。
それが意味するのは単婚や多婚にも恋愛関係があるということだ
この意味において、恋愛関係はさまざまな男女のペア間でその程度が異なるだろうし、ある一個人について言えば同等というより順位があるだろう
婚姻制度はきわめて柔軟で、主に各地の経済や文化的伝統に左右されるようだ
強制的単婚の霊長類と複婚の霊長類を区別するあらゆる解剖学的指標を見ると、ヒトは必ず両者のちょうど境目にいる
強制的単婚の類人猿種(テナガザルなど)はこの比率がほぼ1 単婚種のテナガザルは体形に性差がない
雄は雌より体重が50~100%重い
男性が身長で8%高く、体重が20%重い
ゴリラの雄はハーレムを獲得し維持するために闘わねばならないが、いったんその地位につけば、その集団内のすべての雌との交尾権を独占し、大きくコストのかかる精巣をもつ必要がなくなる
ヒトは両者の中間にあいまいに位置していて、いくらか一夫多妻に傾いている 要するに現生人類男女は単婚と言うより恋愛感情のあるペアボンディングを保つということであり、社会人類学者の反論に反して、この事実はあらゆる人類文化で普遍的だ
ある文化の人すべてが私達の言うところの「恋に落ちる」という現象を経験するわけではなく、この効果の度合いは個人間または文化間でも異なる
なぜペアボンディングは進化したのか
それは、他のオスの暴力に遭うリスクを減らすためのメカニズムとして雌が単婚を選んだという説明で「用心棒仮説(護衛役仮説)」として知られるようになった ゴリラのような一部の例では、数頭の雌が一頭の雄と多婚関係を結ぶ
しかし大半の霊長類の場合には、雌はそれぞれ異なる雄とつがって正真正銘の一雌一雄関係を形成する ホミニンにいて検討する際には、両親による養育と子殺しという2つの仮説の違いに集中するとわかりやすい 3番目の仮説(女性が広域に分散して一人で守るのは難しいため、男性は単婚を強いられている)は、人類には当てはまらない
人類の女性は、個々の縄張りに孤立することはなく、これまで見てきたように、ホミニンの進化史を通して女性がそうしたことは一度もない
生物学者、人類学者、考古学者のいずれもが、ペアボンディングは両親による養育を可能にするために現生人類で進化したと推定し、その主な理由に大半の現生人類の社会では父親が何らかの養育義務を果たしていることを挙げる
より納得のいくのが、狩りをして配偶者と子に食べ物を与える点
しかし、何かの淘汰につながる要因と、いったんある形質が形成されたあとで起きる淘汰の要因の間には大きな違いがある
また、人類学者のクリステン・ホークスによれば、狩猟採集民の男性は家族に食物を与えることで、実際に養育にかなり貢献しているとはとても思えないそうだ 貢献することもあればしないこともあるという
しかし、貢献の程度は別にして養育に見える活動の少なくとも一部(大きな獲物を狩る)は、異性に対する売り込みと考えたほうがいいと言う
大型の獲物は肉をふんだんに与えてくれるかもしれないが、小型の獲物より捕まえるのが遥かに難しく、時間や労力という意味で植物性食材の採集より成果が少ない
大型の獲物の価値は危険性にあり、雄の資質と勇気(したがって遺伝子)を試す誤魔化しの効かない機会となる ホークスの見解は物議を醸したが、ヒトにおいて男性が養育に参加している証拠は圧倒的とは言い難く、そうかもしれないと認めさせるには相当な説得が必要だし、確信させるのは至難の業だろう
養育をしなくてすむなら、男性は必ずそうするし、それは狩猟採集社会でも同じ たとえば、バカ・ピグミーでは、狩猟に秀でた男性は子の養育にあまり参加しない これらの男性は家庭でそれほど貢献しなくても、女性から見て自分が十分に魅力的だと知っているからだ
単婚のサルや類人猿と同じように、両親による養育は男性が特定の女性と固い関係で結ばれた後に進化したようだ
そうした関係を結んだ男性にとって、子の養育にいくらかでも貢献することは、養育の成功と子の質において付加的利益を得ることになるからだ
結論を言うなら、現生人類の赤ちゃんを育てるのに本当に二人の大人が必要とされるのなら、クリステン・ホークスが主張したように、その役目は「おばあさん」が背負ったと考えたほうが適切に思える(おばあさん仮説) イギリスをはじめとするあらゆる文化において、祖母は娘の子の養育に深く関わる
もちろん、程度の差はあるものの、一般的に見れば、母方の祖母が父方の祖母や父親より養育に深く関わるのは明らかだ
現代の産業化された社会でも、特に自分の娘が子を産んで育てるようになる45~50歳ごろになると、女性の関心は配偶者から娘に移る
このことは私達が行った電話のパターン分析から実証された
祖母による子育てがきわめて後期に進化したことは、ある程度の割合の人が祖父母になるほど長生きするようになったのが解剖学的現生人類の出現語だという明白な化石証拠が示唆している
人類の女性が閉経する(約45~50歳で繁殖能力を失う, 哺乳類では珍しい)理由は、祖母による養育だという考えがある 他の長寿をまっとうする種(ゾウ、チンパンジーなど)にも閉経が見られる事を示そうとするやや説得力に欠ける試みがなされたが、成人後の人生のほぼ中間で繁殖能力を失うのは私達人類以外にない 早期の閉経は、ヒトの女性が前世紀以前まではふつう35歳以上生きなかったからだという主張がある
しかし、これは進化的に問題になるのが「繁殖期にある」女性(思春期を生き抜いた女性)の死亡年齢であり、生まれた人すべての死亡年齢ではない点を無視している。 狩猟採集集団および歴史的集団では、思春期まで生き延びる女性は60歳まで生きるのが普通だ。このことは古い墓地にいけばすぐわかるだろう
自分の子育て後に娘の子育てを手助けするのに女性が閉経を利用しているのではないにしても、自分に連なる最後の子孫の成人を見届けようとはするだろう
ヒトの子育ては費用がかかるし非常に長期に渡り、親が早世した場合に子が無防備になることが背景にあるだろう
つまり、ペアボンディングは男女双方にとって有利だということになる
女性は襲撃されるリスクを減らせるし、男性は多くの女性を守ることが無理な状況下で(他の男性に寝取られる可能性は増えている)、少なくとも一人の女性との関係を独占できる
また、子殺しのリスクはつねにある
狩猟採集社会の多くでは、別の男性(死んだり集団を抜けた)の妻とねんごろになった男性は、その女性に幼子がいれば殺す
現代社会でも、連れ子は実子と差別されがちで、とりわけ義父による暴行や殺しに遭うリスクはかなり高い
ペアボンディングはいつ進化したのか
ホミニン系統の正確にどの時点でペアボンディングが進化したのだろう
すでに見てきたように単婚がきわめて早期に進化し、おそらくはアウストラロピテクス類にまでさかのぼるという主張は何度もなされた 単婚(およびペアボンディング)が子殺しのリスクを防ぐという文脈で進化したらしいという私達の結論に照らせば、複婚から単婚に転換するほどこのリスクが大きくなった時点を特定できるだろうか
ホミニンにおける子殺しの頻度については、食物探しの集団のおおよその規模から推定できる
複数の男性がいる状況では問題が深刻化しやすいから
類人猿と野生ヤギの交尾戦略について私が開発した一連の数理モデルでは、一緒に食物探しをする雌の数が以下のどちらかを選ぶかに大きく影響するパラメータ 雄が社交的になる(雌集団を発見したら行動をともにする)
雄が流れ者になる一雄多雌性(ある集団の雌と交尾し終えたら繁殖期にある別の雌集団を探す) この関係は雌の繁殖サイクル(出産間隔)の典型的な長さ、生息地における雌集団の密度、雄の食べ物探しパターンにも影響されるが、最大の要因は雌がどれほど広く分布しているか 図9-5は、2つの戦略(社交的 vs 流れ者)の成果の比率に対する社交的な雄の割合を、種々の大型類人猿集団とヒトの狩猟採集社集団について、この交尾戦略モデルで計算した
https://gyazo.com/38045954d3a18d1ae0859dc2a2441859
チンパンジーやオランウータン(雌はごく小規模な食物探し集団か一頭のみで動く)などの種では、雄にとって社交的であることにあまり利点がなく(単婚は論外)、たいていの雄は交尾するさらなる雌を求めて移動する ところが、ともに行動する雌の食べ物探し集団のサイズが増えて、雄が雌集団に出会う機会が減ると(ゴリラやヒトの狩猟採集者集団)、社交的であることはつねに雄にとって有利になる そして雄が社交的で、雌集団の大きさが数頭の雄を惹きつけるほど大きくなると、ディーコンのジレンマがかならずその見にくい頭をもたげる チンパンジーと大差ない大きさの脳しかもっていなかった(したがって妊娠・授乳パターンも似ていたであろう)ことを考えれば、食物探し集団の大きさが同等だったと仮定すると、アウストラロピテクスがチンパンジーより子殺しのリスクが高かったとは思えない しかし、第4章で述べたとおり、アウストラロピテクスはおそらくより社交的だったようだ
それは森から離れているために捕食者に襲われる危険性が高く、湖沼や河川のそばで暮らしたためだろう
このためにアウストラロピテクスの雌が現在のチンパンジーの雌の10倍ほどの大きさの集団で生活したのであれば、雄は間違いなく社交的で雌集団に寄り添っただろう
あるいは、日中の移動がチンパンジーの典型的な日中の移動(5km)の10分の1であればだが、それはあまりありそうにない
というのも、この場合にはアウストラロピテクスの日中の移動は0.5kmを下回り、これはありえないほど短いから
川岸の生息地に住むヒヒにとってすら当てはまらない。ヒヒの日中の移動距離はたいてい1~2km これで襲撃や子殺しのリスクは間違いなく増えたと思われる
しかし、社交性と単婚のあいだには大きな違いがある
アウストラロピテクスの性差を考慮するなら、乱交あるいはハーレム型交尾戦略が最も可能性大だが、子殺しのリスクが高い場合には後者が選ばれるだろう
初期ホモ属の出現にともない、共同体の規模はわずかに増え、より遊動的な生活様式への変化を考えれば、捕食者に備えて食物探し集団の大きさも増えたのは確実だろう ただし、より大きな脳によって妊娠期間が少し長くなったにしても、これらの集団サイズの増大はたぶん大きくはなく、子殺しのリスクもさほど変化したとは思えない ただし、脳の増大にともなって妊娠期間は少し変化しただろう
集団の規模が50%増えたことで、女性に対する襲撃や子殺しの脅威が劇的に増え、この傾向はかなり大きくなった脳のおかげで出産間隔が長くなったためさらにひどくなっただろう
この時点で、男性に保護を求める「用心棒」戦略が女性にとって非常に有利になったのかもしれない
現生人類においても、人目のある場所で独身女性が男性に襲撃されるリスクは男性と一緒にいるとかなり減る
それどころか第6章 旧人――料理と音楽、眼と脳で見たように、解剖学的データと遺伝学的データの双方が示しているのは、旧人は多婚で、たぶんゴリラのようなハーレム型の多婚だったということだ 言い換えれば、女性はハーレムの男性と個別につがいを形成しているが、この男性は特にどの女性ともつがいを形成していない
男性が子育てにあまり参加しない場合(すでに見たように、参加したという解剖学的証拠はない)には、女性は他の女性と一緒に一人の男性に保護されることに異論はなかったということになる
現生人類が出現し、共同体の規模がさらに大きく増えると、この問題はさらに悪化した
女性を独占したい男性間の競争が激しくなり、支配的な男性にかかる圧力が大きくなったと思われる
以前、ボゴスロフ・パフロフスキーと私は、乱婚の霊長類では、集団内にいる自分以外の雄が四頭を超えると、雄は雌との交尾権を独占できないことを示した 一頭の雌と交尾している間に、競争相手が他の雌と交尾してしまう
そうした状況では、雄はすべての雌の占有から、一時期に一頭の雌という乱婚形態に切り替える
雄が独占的な縄張りかを守ることで雌からライバルの雄を完全に引き離せるなら、多数の雌を独占できる。しかしこれを行うにも限界がある。メスの数が約12頭を超えると、雌にありつけない雄の数が大きくなりすぎて、ハーレムの主が他の雄に襲われるのを防げなくなる(Andelman, 1986, Dunbar, 1988) 言い換えれば、競争相手の雄の数が増えて、それぞれの雌を守ることを強いられると(ヒヒやチンパンジーが「駆け落ち」することに見られるように)一時的なペアボンドが自然に生まれる 一組の雌と雄がより永続的な関係を形成すると、雄は雌の発情期を過ぎても両者の子を守るためにしだいにこの雌に社会的注意を向けるようになり、両者の関係は少なくともより永続的なペアボンディングに移行する
ヒトの女性(さらにより程度は低いが霊長類ではボノボやキヌザルでも)に起きたような性行動と月経周期の分離は、カップルがほとんどいつでもセックスできるようになるのに大きな役割を果たしたと思われる 初期ホモ属についてはデータがないが、標本のうち5体のネアンデルタール人と一体の旧人の比率はすべて現生人類の比率範囲の下端にあり、ハーレム型の配偶体制をもつゴリラのそれと類似する
現生人類を含めたこれらの種のいずれも、テナガザルに見られるような生涯にわたる強制的単婚種に相当する2D:4D比を持ってはいない
以上をまとめると、ホミニンの配偶体制は多婚が多く、なんらかの相思相愛のペアボンディング関係を築くのは現生人類のみらしい
ネアンデルタール人の多婚を裏付ける証拠は、スペイン北部のエル・シドロン洞窟で見つかった12体のネアンデルタール人のmtDNA解析によって得られた これらのネアンデルタール人は同時期に土砂に埋まったと考えられている
標本中の男性3人がいずれも同じmtDNA系統に属する一方で、成人女性3人は全員まったく異なる系統だった
このことはあらゆる大型類人猿と同じような父方居住制を意味し、女性は近隣の集団から血縁関係のある男性集団と暮らすためにこの場所に移ってきたことを意味する 現生人類では父方居住は多婚と関連し、単婚はかならず双方向の分散と関連するので、ネアンデルタール人は多婚だったと考えるのが妥当だろう
この推測は彼らの2D:4D比の証拠と合致し、ネアンデルタール人が現生人類範囲の多婚端に分布し、ほぼゴリラの平均値と一致することを示唆する
現生人類データにおけるあらゆる解析指標の曖昧さは、私達の配偶戦略が実際には多様であることを意味しているのかもしれない
すなわち、人類はいつも同じ戦略を取るとも限らない
こうした行動は進化心理学者には「父親型 vs 不良型」の別として知られる
どの集団でも一部の男性は単婚に傾いていて子どもに手をかけるが(父親型)、残りは乱婚に傾いていて子どもの世話はしない(不良型)
彼は男性たちが二種の行動パターンに分類されることを発見した
一方はどちらかと言えば単婚で(少なくとも長期的な関係において)、他方は恋多き男性で、両者の割合は2:1だった
必然的に厳密な単婚男性の割合が増えるが、西洋文明環境における既婚男性は当然ながら一時的に婚姻状態にある乱婚男性も含む
男性の約25%が乱婚にかかわるこの対立遺伝子を持っていた
同様に2D:4D比率と性行動の嗜好を示す心理学的指標を解析した結果、ラファエル・ブウォダルスキと私は、男性が単婚型と乱婚型に約45:55の割合で分かれるのに対し、女性はほぼ同じ割合で反対のパターンに分かれることを発見した 試料によってこれら2つの表現型の比率はいくらか異なるものの、これらのデータはヒトの性行動は二種類の表現型に分かれるという説を裏付ける すなわち、長期にわたる関係を結ぶタイプと結ばないタイプがいる
ただし、どちらも相手に愛着は覚えるものらしい
さらに先に述べた双子研究と2D:4D比率データによれば、これらの表現型には遺伝学的な理由があるが、子の遺伝子が発現する程度は文化的背景によっていくらか変わりうる
以上を総合すると、ホミニンはその進化史を通して類人猿に似た多婚に特徴づけられてきたという強力な証拠がある
単婚がいくらかでも進化したのだとすれば、それは唯一人類にだけ進化史たもので、それでもまだ完璧な単婚とも種全体の特徴とも言い難い
ヒトでは、男女ともに配偶形態が多様で、単婚表現型と乱婚表現型はほぼ同率らしい
ただし強制的単婚とまではいかない
つまるところ、私達がいかにして人間になったのかという問いは、類人猿から隔てる社会的および認知的形質にかかわる
二足歩行が現生人類の反映に重要な役割を果たしたのは明らかであるとはいえ(呼吸を制御して、笑いと発話を可能にした)、このことのみで同様に二足歩行していたアウストラロピテクスがただの大型類人猿にとどまらないという私達の見方が裏づけられるわけではない あらゆる適応放散と同じく、彼らは素晴らしい進化の実験だったのであり、あるテーマに基づいて多くのさまざまな変異体を生み出した 私達人類が何者であるかにかかわる真の物語は、最初のホモ属の出現とともに始まる
その後はより大きな共同体を目指す環境要因の圧力の下、時間収支との長い戦いが続いた これらの環境要因は当初は捕食者からの保護で、やがて乏しい資源を入手するための交易ネットワークの維持となった
さらに時代が下ると、それは仲間からの襲撃に対する防御となった
人類進化の物語は社会的つながりの問題、大きくなった体と脳が必要とする栄養の問題に対する新規な解決策によってこの圧力に順応していく方法を探るものであった
これらの中には一連の段階もあれば、特定の方向を目指す緩やかで着実な変化もあった
だが、今の私達を形作ったものは、ホミニンの基本的な生理学的、社会系、認知的デザインに対する一連の複雑な調節だった
もちろん、科学と芸術の近代的な世界をもたらしたのは認知的な変化だが、これら三種すべてのデザイン変化が現生人類の豊かな社会性のタペストリーを織りなしてきた